山中比叡平「歴史散歩」<18> 田中伸
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蓮聖寺
東南寺より北東に250mにある蓮聖寺(下阪本3丁目13 ー13)1605年、豪農松田宗也が田の中から読経が聞こ えるので鍬で掘ってみると日蓮上人像が出てきました。

比叡山修行中の日蓮の里坊があった所で、日蓮自作の像を 安置して、1287年、高僧日卿が一寺を建立しましたが 元亀の兵乱で寺は焼失し日蓮像も土中に埋もれていました。

日蓮像は延暦寺に預けられたが「イノウ イノウ」と 三日三晩、言い続けたので松田宗也に返され、松田は田一反 を寄進して僧日禅を迎えて蓮聖寺を再建しました。

尊像出土のいわれから田中の高祖といわれています。


東南寺 戸津説法
坂本城本丸石碑より西に200mにある東南寺は毎年8月に 行われる戸津説法が有名で、天台座主になるための登竜門で 法華経を人々にわかり易く説法するものです。

最澄自作の釈迦如来像を本尊として開創されたと伝わってい ます。1638年に高島市今津のお堂を移築して再建された ので今津堂ともいわれています。

坂本城落城の時に討ち死にした明智一族と家臣の首塚があり ます。


坂本城 本丸石垣
宣教師ルイス・フロイスは著作「日本史」のなかで、「信長が建てた安土城についで、この明智の城ほど有名なものは天下にない」と述べるほど大規模なものであり、茶会や連歌会がさかんに行われた。

しかし明智光秀は1582年に本能寺の変を起こし、信長殺害には成功したものの、中国大返しの秀吉軍に山崎の合戦で敗れ 落ちて行くなかで小栗栖で落ち武者狩りに殺害されたとか、致命傷を負って自害したともいわれている。

秀吉時代に入って坂本城は丹羽長秀によって再建され、のち杉本家次、浅野長政と城主を代えていったが、坂本城は1586年に廃城されました。湖南の要地として大津が浮上したためであり、秀吉が山門に対して監視から保護へと政策転換したためです。

写真は平成6年に大渇水した時に琵琶湖に現れた本丸の石垣です。


坂本城 本丸跡
信長は坂本の重要性をもっとも重視していました。

浅井、朝倉 両家が織田家に離反し、1570年湖西をも圧倒しようとした時に、信長の家臣、宇佐山城主森可成は、あえて坂本に出撃して負けて討ち死に、山門を支配下におくためには、山門の所領下坂本で浅井、朝倉軍と戦う必要がありました。

信長は山門に激しい憎しみを持っていた、次に宇佐山城主になった明智光秀は山門焼き討ちを周到に準備していた。

1571年、まず坂本の攻撃から始まった。社寺だけではなく 民家まで残らず焼き払われ、信長3万の兵は山門をぐるりと 一巻きして誰かれかまわず殺しました。

山門焼き討ちがあってわずか3ヶ月、信長の命令で光秀は坂本城の築城にあたり1573年に完成しました。

三津浜より北へ200m、161号線沿いキーエンス入り口横に本丸跡の石碑があります。


三津浜
御津浜(みつはま)は2000年前は高穴穂宮の港として 成務天皇が開港したといわれています。

平安中期は三津浜(戸津、今津、志津)と呼ばれ延暦寺の 港として、材木の受け入れ港となっていました。

この頃の 三津浜は馬借、車借などの運送業者が多くあり、交易、交通 の要所で山中越えを通り京都までの荷を運びました。

1434年延暦寺の僧侶らが室町幕府と対立し足利義教は諸 大名に命じて坂本、延暦寺を焼き討ちしました。

幕府と対立 する力を延暦寺や坂本の町が持っていました。この権力、 経済力は織田信長の焼き討ちや豊臣秀吉が大津港を開くまで 続きました。

七本柳の北隣り


山王祭 宵宮落とし 大政所
4月13日の午後7時より、大政所で神輿4基の宵宮落とし が始まる。

おおくの駕輿丁によって前後に激しく振り上げ、 振り下げること1時間半、扇子をあげる合図で神輿は いっせいに壇上を飛び降りて、多くの参観者のなか、先を競 い西本宮へ向かいます。

この神輿の上下動は若宮誕生の生み の苦しみを表している。


山王祭 花渡り式
4月13日には、日吉大社参道で花渡り式が行われます。

甲冑に身をかためた稚児を先頭に、稚児と色布で結ばれた 造花の大指物を持つ青年たちがねり歩く、華麗な行列です。


山王祭 午の神事
日吉大社、4月12日の午後8時半に八王子山の奥宮を2基の神輿が駕輿丁(かよちょう)と呼ばれる担ぎてに担がれ、急坂をくだるのである。

神輿の後ろに鈴縄がつけられ、前は長い竹で押さえながら、最大45度の坂をくだる、命知らずの男達に「凄い」の一言。

里宮の東本宮の拝殿に神輿のお尻を合わす形で安置、これは男神と女神の結婚によって若宮誕生をあらわしています。山王祭、午の神事です。






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